『西洋が混じることで発祥した横浜の文化』
横浜というとお洒落な港町というイメージを持っている人が多いと思います。
実際にみなとみらいや中華街などおしゃれなスポットがたくさんあります。

ですが昔からお洒落な町というわけではなく、黒船来航による横浜港開港以前は寒村だったそうです。
ですからお洒落な横浜は外国の文化をいち早く吸収することによって生まれたのかもしれませんね。
そんな日本文化と海外文化がまじりあう街「横浜」を表しているのが旧柳下邸でしょう。
横浜港にほど近い根岸に建てられたこの建物は、大正時代の一般的な日本家屋に洋館がついた当時では珍しい建物です。
現在は横浜市指定有形文化財として指定され、一般公開されています。
大正時代の和と洋が混じり合い始めたころの空気を体感できる場所になっています。

和と洋が混じり合ったといえば横浜では外国の技術や文化がいち早く取り入れられた街でもあります。
そんな横浜から広がったものと言えば電話です。
明治23年に東京滝ノ口と横浜居留地に設置された電話局が日本で一番最初の電話です。
今や国民のほとんどが利用している電話ですが、開局投手の加入人数は横浜では40人ほどしかいなかったそうです。
いまは少なくなってしまった公衆電話は利用者を増やす宣伝のために設置されたのだそうです。

そんな電話で利用することもある救急車も横浜発祥です。
当時の消防を行う組織は神奈川県警察部山下消防署といって警察の一部署として存在していたのですが、そういった組織に救急車が初めて導入されたのが横浜なのです。
馬車や荷車が主流だったところに車の救急車というのは街の人の目にはとても珍しく映ったことでしょうね。
珍しいといえば外国から流れてきたもので当時の人を驚かせたのは写真ではないでしょうか。「魂が抜かれる」などと言われていたこともあるほどです。

そんな写真ですが一番最初の写真館ができたのが横浜です。
横浜港が開校した翌年にO.E.フリーマンという写真師が開いたお店です。また日本人初の写真師も横浜に開業しました
今ではシャッター一つで一瞬でとれる写真ですが、当時の技術だと5~15秒ほどじっとしていなくてはいけなかったんだそうです。

写真と言えば新聞や雑誌などいまはいろいろなところでお目にかかります。皆さんも毎日読んでる人が多い新聞ですが、この日刊の新聞も横浜が発祥。
横浜活版舎という会社が創刊したものでその名もズバリ「横浜毎日新聞」というものでした。写真を紙面に載せる技術はなかったのですべて文字のみ新聞です。
ですが紙面の構成自体は現在とほぼ同じで、紙に両面で印刷し記事の内容を欄で区切るというものだったんだそうです。

このように西洋文化が日本に上陸したことによって横浜から様々な文化が発祥し広がっていきました。
横浜を訪れたら発祥の地を巡ってみるのもいいんじゃないでしょうか。
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